
何が原因だったのか。 どうすれば回避できたのか。
二度と同じことが起きぬよう、考察してみた。
熱量の差
熱量の差がかなりあった。
うすうす感じてはいたものの、はっきり気づかされたのは、退院して3日目。
息子に来てもらい、話をし、
「あぁ、やはりそういうことだったのか」
と。
全力で応援したかった。 ジジババが預かるので、ふたりで遊んでおいで。
困ったことがあれば、なんでも相談しておくれ。
「ありがとう!助かるよ!♥」(妄想)
「いいってことよ」 Babyのほほえみが自分に注がれるその瞬間のために生きていたかもしれない。 そのためにこそ、山に登り、プールで泳ぎ、自律訓練を重ねていたかもしれない。
莫大な熱量を蓄えていた。
今思えばそれは、思い込み系のストーカー系のソレだった。 必要とされていない、出る幕のない、押し売りだった。
君に会いたい
熱量マックスのババ。 Babyに会うのをどれほど楽しみにしていたろう。
その前に会ったときは、一度も触れることができなかった。
人見知りされ、泣かれ、その後、そのまま寝てしまった。
今度こそ!
抱っこして、一緒に遊んで。
たくさん笑かしてやろう!
そうだ!
離乳食を作ろう!
どんな顔して食べるかな。
たくさん食べてくれるかな。
アラートが鳴り始めた
「離乳食を作ったから持っていくね♥」
そう伝えたら
「お気持ちだけいただいて、大人が食べましょう」
と息子。
え???
どういうこと???
なぜ???
理解不能…。
脳が演算処理できなくなり、この時点でパニックに。
青信号を渡っていたら車がつっこんできて轢かれた、それくらいの衝撃を受けた。
アラートが鳴りはじめた。
原発崩壊
衝撃を受けたわたしは
「ママに直接聞いていいですか?」
と息子に聞いた。
20分待っても息子から返事がなく、ママにLINEを送信。 フライングだ。
息子から、
「回答していないのに直接聞くのは意図がわかりかねます」
と。(This is it. I was very scared. These are messages from the "son" to me, mother.)
その瞬間、全身から冷たい汗が噴き出た。 心臓が早打ちした。 手が震えた。
怒られた、と、思った。
ごもっとも、と思った。
やってしまった、もう終わった、と感じた。 乗用車に轢かれたあと、後続の10トントラックに踏み均された感じ。
パニックを通り越し、危険アラートが大音量で鳴り響いた。
いくつかの文章を立て続けに送信した。
そのあと、返事を待って、待って、待ち続けた。
息子からもママのSちゃんからも返事がないまま、30分。
30分という時間は…。 バタバタと赤ちゃんの世話など、日常生活を送りながらのふたりには、ほんの短い時間だったことだろう。 放置したとは言えない時間だ。 けれど。 後続の10トントラックに踏み均されたわたしにとって、1分は10分にも1時間にも感じられた。 30分はとてつもなく長かった。
冷却できなくなった原発は崩壊した。
夫にSOS
崩壊したわたしは、まっさきに夫にSOSをした。
はじめはLINEで。
次に言葉で。
最後は
「クスリ飲むね」
と言った。
すべて無視された。
息子から怒られ、おそらく軽蔑(※注)された。 おまけに100%の信頼を寄せていた夫から無視された。 何もかも終わった、と感じた。 クスリを飲んだ。 なんの迷いもなかった。
詳細は、当ブログ記事(エスタロンモカ120錠)に書いたとおり。 軽蔑されたと感じたのは、「認知のゆがみ」が原因。当ブログ記事(認知の特性(ゆがみ))参照。
誰も悪くない
誰も悪くない。
しいて言えば、悪いのはわたし。
原因は「熱量の差」だ。
退院して3日目、呼ばれて来た息子は言った。
「助けを今は必要としていない。必要なときはこちらからお願いする」
「離乳食のことは、作る前に聞いてほしかった」 「無視したわけではない。生活をしているので、こちらのタイミングがある」
「会いに来てくれるのは歓迎する。ただし、今は直後なので、少し時間を置いてほしい」
ごもっとも。
「熱量の差」も、しかと認知した。
未来のために
デフォルトは死にたい。 日々、抗い、奇跡的に生きのびている。 よくぞここまで生きた。 「あんたさえいなければ」
と鬼面で睨む親(当ブログより)だった。 わたしは、今日も死にたい。いつも死にたい。 日々全力で、クビツリテーと、戦っている。
根源的な原因は、毒親にあるが、過去を掘ったところで未来に繋がらず、希望もない。
身体と心をよりいっそう鍛えるが吉。
己の認知の特性と向き合い、より正確な現状観察を修練すべし。 そして、期待しないこと。
シェイクスピアも言っている。 「期待はあらゆる苦悩のもと(Expectation is the root of all heartache.)」と。
そのとおり!
車に轢かれ、ダンプに均されたのは、わたしが勝手に期待したことが原因だ。
息子らはサバンナの奥地へ
”息子らはサバンナの奥地に旅に出て、半年連絡が取れない”という設定にした。 それで「温度差」のバランスがやっと取れるかなと。
三途の川を渡りかけ
ビッグバンから138億年。 太陽系が生まれて46億年。 人の命など、「あっ」という間すらない。
誰がどうした。何がどうした。だからどうした。
三途の川から生きて戻り、少しは太くなれたかもしれない。 「苦労」を「大人買い」し、もっともっと太くなりたい。
瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さん
苦労を大人買いしてきたろうおふたりの本を買い、Youtubeで、対談を聴いてみたり。
【一人一人違って当たり前でしょ(美輪明宏さん)】
一人一人違って当たり前でしょ。
あらゆるタイプの動物が種類が豊富でしょ。
どうして人間だけが画一的でね、「同じでなきゃいけない」みたいな思いをするんでしょうね、皆さん。
それ傲慢ですよね?
だからそれを知ってたから私小さい頃から平気でしたね。
「変わってる」って言われても、変わってて当たり前だと思ってたから。
有名になって、いろいろ「オトコオンナだ」とかね、「女の腐ったのみたいだ」とか、非難されましたけど。
普通は言われている自分を責めて落ち込みますね?
私は返す刀を持ってましたからね。
じゃああんたはなんなの?
何があるの?
どんな才能があるの?
なんぼのもんなの?
何者でもないくせに、っていう言葉を持ってましたからね。
だからひるみませんでしたよ。
やさしい街
生きてりゃ楽しいことたくさんあるのに!
なんでそんなことしたの!!!
前を向いて歩いていきましょう
など、いろいろ言われた。
おひとりに、
「それ、言ってはいけない言葉ランキングに入ってますよー(笑)」
と伝えた。
「ごめんね、ほんとにその通り!」
と。
その方にはわかっていただけてよかった。
だが、「なぜ言ってはいけないの?」と感じる方は多いかもしれない。
目、耳、言葉など不自由をお持ちの方、車いすやベビーカーの方、外国の方、LGBTQの方などに、
「お困りのことはありませんか?お助けできることはありますか?」
と、自然に声がけできないのは、学校教育にも原因がある。
予算をかけ…難しいが、等しく同じ教室で過ごし、助け合うことを学べればなと願う。 とても大切なことだ。
それは、やさしい街づくりにもつながる。 機能でも、こころにも、やさしい街。
街を構成するのは人。 人は未知のものに不安、恐れ、偏見を抱く。
不安、恐れ、偏見のない街。 それはきっと、争いのない平和な世界に繋がる。
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」by ソクラテス。
「未遂者支援」と「再発」
未遂はきつかったので、二度としない。
一生関わりたくない。
そう信じていたのだが、自死への思いは再燃するのだね。 「解決」はしていないのだ。 準備をする中、夫が帰宅し、実行には至らなかったが、緊急で主治医に診察いただいた。
「未遂者支援」や「再発」について、知った。
クスリによって、強い希死念慮は一時的に消える。
「支援」は夫がひとりで、がんばっている。
主治医より
この世のどこに義理のおかあさんを愛する嫁がいるのよ(笑)
あなたが死にそうになっていようと、遊びに出かけるなんて普通よ(笑)
孫中心に考えなさい。
孫があちらのジジババにかわいがられていてよかったな、しあわせそうでよかった、と思いなさい。
悪く悪く考えてもひとつもいいことはない。
いいようにいいように考えなさい。
あなたが元気でないと、息子さんはお嫁さんとあなたとの間で切り裂かれてしまうでしょ。
未遂したことでダンナさんだけでなく、息子さんも傷ついている。
本当に死んでしまったら、一生苦しめてしまう。
これからはダンナさんと一緒に診察に来なさいね。
信じる力
相変わらず、頼もしい。 でもね、先生。 おおむねその通りだと思うが、反論。 わたしが義理の娘を愛するように、義理の娘もわたしを愛する日が来ると信じている。 双極だが、能天気なのだ。 底抜けにアホで、前向きなのだ。 時に疑ったり愚痴を言ったりしながらも、鳥瞰し、信じるのだ。 夫が何年も口をきいてくれないときも、信じ続けた。 夫はうつ病のわたしを放置し、息子らと日々大笑いしていたが、それでも、信じ続けた。 何十年もかかったが、あきらめずに努力を続けた。 波はあるが、ハイスーパースペクタクルに仲良し。 さらに、計らずも、今回の未遂でふたりに変化が生じた。 「死にたい」 と泣くと夫も泣くので、 「死ぬときは一緒ね」 と言う。すると、 「そうしようね」 と、真顔。瞳に微笑。 歌っていたらそばに来て聴いている。 うわぉ。 「雅子ちゃん、歌うの久しぶりだね」 って、おい、今まで聴いてくれていたことなかったやん。 ありえへん。 ひと月経っても、ぶれない。 よもや、神仏の愛? まさか、わたしを産んだ?
こころみに 「雅子はおもちくんのおしりから生まれたのよ」 と言ってみたところ、何気に喜んでいる。 じきに我に返るに違いないが、それにしても。 よほど心配かけたのだろう、頭も強打したかもしれん、申し訳ない…。
それから別の息子。 「父親から生まれた」 と抜かすのだが(笑)、それもまた、鳥瞰し、信じている。 先生。 負けるのは途中であきらめるからだよ。 わたしはあきらめない上に、勝ちの定義がアバウトなので、いつか勝つ。 のんびり、10年でも20年でも、待つ。 信じる力、 あきらめずに待つ力、 思いの深さは、 誰にも負けない。 どうか希死念慮がこれ以上育ちませんように。 家族一同、未遂者支援にあたたかく協力してくれますように。(これは無理やな~)