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ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2009年、アメリカ映画)

ベンジャミン・バトン 数奇な人生(映画)。

劇場に行きました。

生産調整で休みを取っている夫と、です。

休み中の夫は、昼に焼き立てパンを買ってきてくれるなど、ありがたいわ~。


ここからは映画の感想を少し。(ネタバレ注意です)


愛は永遠ではない。

愛は永遠だ。

命は永遠ではない。

命は永遠だ。

人は老いて醜くなる。

人は老いても美しい。

若さは素晴らしい。

老いることもまた素晴らしい。


そうしたテーマを

数奇な運命を持って生まれた、

ベンジャミン・バトンを題材に描いていたように思う。 ベンジャミン・バトンは、 老いて生まれ、成長ととともにに若返っていくので、 彼の人生そのものが象徴的な題材だと言える。


針が逆に回り時を逆に刻む大時計
PhotoshopによるAI生成

もうひとつ、この映画では「象徴」とも言えるものがある。

それは、駅の大時計だ。

腕のよい職人が作り上げた時計。

その時計は、針が逆に回り、時を逆に刻むのだ。


時計職人は、

時計が逆に回れば、時間が戻るだろう、

時間が戻れば、戦争で死んだ息子が帰ってくる、

そうした願いを抱いて、その時計を作った。


もしも時間が戻ったら。

もしも。

もしも。

バレリーナ
PhotoshopによるAI生成

もしも。


ベンジャミンの恋人、デイジーは、交通事故にあい、

世界的バレリーナという地位を失った。


その交通事故は、あまたの偶然の蓄積で生じた。

もしも、そのあまたの偶然が、たったひとつでも異なっていたならば、

その交通事故は発生せず、

デイジーは、足を骨折せずにすんだ。


もしも・・・。


映画の中で、交通事故の「もしも」は象徴的に扱われた。

美しい映像で、もしも、もしも、と繰り返された。


しかし、ベンジャミンは「もしも」を悔やむデイジーにこう言うのだ。


「もしも交通事故にあわなかったとしても、トップバレリーナとしての地位は、年齢的に保てるものではない。遅かれ早かれ、君は引退していたのだ」

と。


永遠に、トップバレリーナでいることはできない。

永遠はない。


対照的に、

ベンジャミンとデイジーの、永遠と思われる愛・・・。


物語の終わりで、

象徴たる大時計は、倉庫のような場所にあった。

大時計は、駅で長い時を刻み、

引退してなお美しく、時を刻んでいた。


日記帳
PhotoshopによるAI生成

ベンジャミンの「日記」は、娘に継がれ、

おそらく娘は、その子どもに譲るのであろう、

「あなたのおじいちゃんの不思議な人生よ」

と。


ベンジャミンは死んだが、彼の人生は彼の日記の中で生き続ける。


命は永遠ではない。

しかし、命は永遠・・・。


いずれも真実なのだろう。


~感想~

167分。

夫には長く感じられたみたいだが、わたしには長くなかった。

アトラクション的な要素はなかったが、とても興味深く、さまざまなことを考えさせられた。


映像技術

実年齢45歳のブラッド・ピットを、老けさせるだけでなく、ティーンエイジャーに見せる技術に驚いた。肌の色、はり、つや、透明感、そして目の輝き、幼さを残したあどけない表情。どう見てもティーンにしか見えない。「若く見える」と「若い」は別物だと確信した。

スクリーンの中のブラッド・ピットは、若く見えたのではなく、間違いなく本当に若かった。

永遠の時を刻む時計
PhotoshopによるAI生成

若さと老い

十数年後、再会したデイジーの体型は、彼女が恐れていた通り崩れていた。下着からはみ出た肉のたるみなど、あえてその崩れを強調するかのような演出だった。かつてトップバレリーナだったころ、「体の線が大事なのよ」とデイジー。そう自慢するほどに完璧に美しかった。月日の積み重ねで、少しづつ崩れていったわけだが、その変化に観客は、「”ついさっき”、あんなにきれいだったのに…」と愕然とする。

永遠の愛

だが、ベンジャミンは、美しいからデイジーを愛していたのではない。たとえシワが増え、体型が崩れたとしても、その愛情は変わらない。観客もそう確信しただろう。


愛し合いながらも、別々の道を選んだ二人。しかし、時を経て、ベンジャミンが少年、幼児、赤ん坊へと姿を変え、最期を迎える頃、デイジーは彼のもとに戻ってきた。

老いたデイジーは、赤ん坊となったベンジャミンの世話をし、彼の最期を見届けた。


外見と中身

老いた姿で生まれたベンジャミンの心は若く、時が経つにつれ人生から多くを学び、成長していく。ベンジャミンが他人と違うのは見た目だけで、中身は同じなのだ。 ベンジャミンは言う。「僕は変わらない。僕はいつでも僕だから」と。


本当に大切なのは中身。外見は「魂の入れ物」に過ぎない。そう思った。

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