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ステレオタイプ vs 野犬

ステレオタイプ


ステレオタイプとは。 国籍・宗教・性別などに対して、不確かな情報や知識に基づいて、カテゴリー化、誇張、単純化する。 なぜその見方が妥当なのか、客観的かつ主体的に吟味することがない。 ひとたび固定観念が定着すると、新たな証拠や経験に出会っても、修正しにくい。 好悪、善悪、正邪、優劣などといった強力な感情を伴う。

自分自身で考えることができない。 ”そうではない可能性もある”、という考え方ができない。 偏見や差別につながる。 多かれ少なかれ、誰にでもステレオタイプの要素はある。

融通無碍(ゆうづうむげ)


ステレオタイプの対義語・反対語は、「融通無碍」、「独創的」、「個性的」など。

融通無碍とは、考え方や行動がひとつにこりかたまることなく、自由でのびのびしていること。 「野犬」ともいう。(言わない)

 

ステレオタイプな父


父は典型的なステレオタイプだった。

  • 自分はO型なので、AB型の人とはうまくいかない

  • 孫の嫁さんが今、外の空気を吸ってくると席を立った理由は、妊娠である(違)

  • 日本の発電量の割合は、水力が一番多い(違)

  • などなど

vs 融通無碍(ゆうづうむげ)の母


ステレオタイプの父と、野犬、もとい、融通無碍(ゆうづうむげ)の母。

かつて父は、母を支配下に置いた。

力でも言葉でも父に勝つことができず、実家に逃げ帰ることもできず、母は求められる妻としての演技を続けた。


その後、年を重ねた父が、多少まるくなり、危害を加えなくなり、母は「素」をおう歌している。

言いたい放題だ。

「まだ死なない」 と、父に直接言う。

「雅子のとこで、このジイサン、預かってよ!」 と、これまた父の前で言う。

86歳の今も、母は毎日のように、仕事に出る。 全国を飛び回る。 「じいちゃんと一緒にいられるか!」 と言う。 母から何を言われても、父は黙って薄ら笑いを浮かべている。 自分をなだめる図式が定着したのだろうか、と憶測する。 親族の集まりのたびに父が何度も持ち出す昔話。 耳にタコができるほど、聞かされている話。 その話があやしい、と、踏んでいる。


一同で謹聴する父の昔話

担任の先生が手相を見てくれた。 クラスメイト全員が並んだ。 自分の番が来て 「君は30歳前後で早死にするよ」 と言われた。 まさかと思い、もう一度並んだが、同じことを言われた。 そこで、職に就くや、一刻も早く、子孫を残すべく結婚した。

死ぬと言われて早く結婚しました、というひどい話だ。 状況をどや顔で語り、説明や言い訳はなし。 つまり、こうか? この結婚は、やむを得なかった。 急いで結婚しなければならない理由があった。 2回も並び、2回とも!早死にすると言われたのだ。 てか? 諸君。なぜこんな女と結婚したのかと、さぞかし疑問に感じているかもしれないが、ふさわしい人を選んでいる時間はなかったのだ。 てか?そうなんか? いやぁ、学校の先生でしょ。 ちょこっとかじった本に、こういう線の人は早死にします、とあり、その線を父の手のひらに見つけたんでしょ。

一辺倒の知識しかないため、何度並んでも同じことしか言えないんでしょ。

10回並んでも、100回並んでも同じ。

ただ、父にとってはそうではなかったらしい。

『並びなおした』『同じことを言われた』っていうところをいつも強調するからね。 「何回並び直しても、同じことを言われたんだね!それはショックだったね!急いで結婚して子孫を残さなくては、と思うのも当然だね」

という反応が、父にとっての正解なのだろうか。

残念ながら、何度聞いても、全員、頭がハテナ。 周りの反応は目に入らず、どや顔キープの父。 多少まるくなったとは言え、そんな父と朝から晩まで一緒にいたら、母は脳天腐りそうな気分になるのだろう。 気持ちはわからないでもないが、母もまた、父にとって楽しい存在ではなかろうて。 悪たれ口はクセになる。 ボケると制御不能になり、所かまわず、たれるようになるで。


父と母


昭和7年、7人兄弟の3男として生まれる。 3歳のとき、子の授からぬ叔父の家に養子に出され、満州に渡る。 叔父は満州で呉服屋が繁盛。使用人を何人も雇い、裕福だった。 叔母からは、関心を持たれることも、愛されることもなかった。 運動会は、周りが家族揃って楽し気な中、使用人と2人で弁当を食べた。 昭和20年。終戦ですべてを失い、着の身着のまま日本へ。 自力で学費を工面し、大学を卒業。 公営銀行(中小企業金融公庫。現、株式会社日本政策金融公庫。Wikipediaリンク)にて約40年。 支店長、本店役員などを歴任。 ダンディでハンサム。 某支店長時代に訪ねた際の帰り、タクシーを拾い、運転手に「〇〇駅まで」とお札を渡し、私を乗せるまでの一連の動作に、「かっけぇ~」としびれた。


昭和12年、7人兄弟の長子として生まれる。 学生時代、放課後に音楽室に通い、ピアノを弾いていた。 結婚後、エレクトーン講師の資格を取得。 増減などあるかもしれないが、名刺の肩書は以下。

  • 公益財団法人 音楽文化創造

  • 音楽ネットかながわ 生涯学習音楽指導員

  • 音楽療育鍵盤指導研究ネットワーク会員

自立、自活の道を模索する中、編み物や刺しゅうを教えていた時期もあった。 好奇心旺盛で、チャレンジ欲は今だ健在。 熱があろうが、どこかが痛かろうが仕事に穴を空けない。 「胃に穴、開いていたようですが、もう塞がってますね。気づきませんでしたかー?」

と医者にびっくりされるツワモノ。

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